世界遺産ペトラ遺跡
午前8時ホテルを出発し、約10分世界遺産ペトラ遺跡に到着です。
ビジネスセンターから
シークは、大地の狭間で長さ1.2㎞。幅3~8メートル。
高さ90メートル。ペトラ市街地に続く唯一の道。
この様な風景が続きます。
ピンクの砂岩が美しい、こんな風景が続きます。
水を流すのに使う水路が今でも、使われています。
途中「オベリスクの墓」が有りました。
上部は5つの墓所が放射線状に広がっている墳墓で
高さ7mの4本のオベリスクが印象的な巨大な建造物です。
随分歩きました。もうすぐ「エル・ハズネ」です。
岩の裂け目から・・・・
ペトラ遺跡のメイン【インディ-ジョンズ最後の聖戦】
で有名な「エル・ハズネ」が見えてきました。
エル・ハズネは崖を削り、彫り抜いた霊廟で幅約30m高さ約40m。
インディ-ジョンズ最後の聖戦の舞台にもなりました。
間近で見ると本当に大きい。その大きさに圧倒されます。
嬉しくていろんな角度から写真を撮ってみました。人が小ちゃいでしょ。
エル・ハズネが宝物殿と呼ばれる由来は、
建物の一番上に乗っている壺の中に、
宝物が隠されていると信じられていた事からきているそうです。
下の写真がそうです。
建物の中には入れませんが、見ることは出来ました。
インディ-ジョンズ最後の聖戦で出てきたように広くはありません。
それでも、本当に美しい、魅力的な建物でした。
ゆっくり見ていたいのですが、ペトラは巨大な遺跡群です。まだまだ、先が有ります。
名残惜しいですが、エル・ハズネを後にします。
エル・ハズネを過ぎるとお土産屋さんが一杯です。
こんな物を売っています。
この辺りでは砂絵が有名だそうです。
瓶の中に砂を入れ、染料を使い、ラクダの絵や名前を書いてくれます。
ロバも人を乗せて歩いています。
ロバに乗せてもらい博物館まで約10分で10ドルだそうです。
さて、横道にそれましたが先を急ぎます。
エル・ハズネから円形(ローマ)劇場までの道は「アウター・シーク」と呼ばれています。
岸壁にはナバディア人の宮殿墳墓が並びます。
形や大きさが違うのは、裕福な家庭の個人墳墓。
貧しい家庭の家族墳墓と分かれている為だそうです。
下の写真はたくさんの入口が見えます。
このように岩をくり抜いたお墓が無数にあります。
中はこんな感じです。結構広いお墓も有ります。
随分高いところにも作られています。
少し歩き、右手に王家の墓が見えてきました。
王家の墓は1世紀頃作られた王宮岩窟墳墓です。
写真では見にくいですが、
①壺型墳墓:1番高いところに壺の様な飾りが有り、
2段式テラスを持ち、たくさんの部屋が有ります。
②シルク式墳墓:鮮やかな色と模様が、
波紋を付けたシルクに似ているのでこの名前が付けられました。
岩の成分により、色が違います。
③コリント式墳墓:前面にコリント式の石柱の様な飾りが付いています。
この墳墓群を過ぎると、円形劇場がすぐに見えてきます。
広い劇場です。もとはナバティア人の墓地だったそうですが、
その砂岩を削って造られたそうです。
ローマ劇場とも呼ばれ、席は45段。約3千人の人が収容できたそうです。
町の中心から1㎞以上離れている事や巨大な墓地の真ん中に有ることから、
娯楽用ではなく祭儀ように建てられたのではないかと言われています。
ローマ円形劇場を後にし、「列柱道路」と「テメノス凱旋門」に向かいます。
でも、日差しが強く随分暑いです。休憩しながら進みます。
列柱道路が見えてきました。
この柱廊は幅が6mでこの通りを囲むように遺跡がたくさん残っていたのが、
551年の大地震でほとんど崩壊したそうです。
柱廊の最後には比較的保存状態の良いテメノス凱旋門が残っています。
随分歩きました。ここでやっと昼食です。
昼食はペトラ博物館の前にあるレストラン「バシン」
やっと一息です。昔の旅人も木陰が有り難かったんでしょうね。
ここから、「エド・ディル」を目指します。とにかく登ります。ひたすら登ります。
随分登りました。いえいえまだまだです。
でも、本当に景色は最高です。
随分急な階段でしょ。
歩くこと約1時間。この階段を登り切った所に、「エド・ディル」が有ります。
エル・ディルは修道院跡です。
大きさは幅50m、高さ45mとエル・ハズネよりも大きいんです。
エル・ディルは1世紀中頃に建てられたナバタイ人の神殿だそうです。
エル・ハズネより、少し地味ですが細部は繊細で
個人的にはこちらの方が美しく思います。
どうです。美しいでしょう。
ゆっくり休憩をし、観賞をしていると「地の果て」という標識が見えます。まだ、登れるみたいです。
登ってきた甲斐が有りました。
ビジネスセンターまでの帰り道、色々寄り道をしましたが、
ペトラの遺跡はとても広く、一日で見ることは難しいようです。
でも、一日ペトラ遺跡を満喫できました。